長崎一人旅

お盆休みを利用して、初めて長崎にやってきました。純粋に観光目的ですw。名古屋のライブを見た後、夜のうちに長崎へ飛んで、今日は一日観光しました。(→写真の子供は私と関係ありませんw)

長崎原爆資料館

1個の爆弾によって、1945年8月9日11:02から、同じ年の12月31日までに、7万人以上が亡くなった。それが事実だったことを心で感じとるには、ここにある証拠の品々が役立ちます。起こったことは広島とそんなに変わらないのに、今まで広島ばっかり見聞きしてた感じです。熱線、爆風、火災、放射能、これらが組み合わされて、多くの人とその家族と友達を苦しめました。放射能は、その後数十年にわたって、じわじわと苦しめています。
これが地震とか大津波とかではなく、人間の意志によって、実行された大量殺人だってこと。今でもそれが可能だってこと。怖い、呆れる、でもそれが現実だ。今だって、日本人は、大量殺人ができる軍隊を持つ国に協力している。明日にも、日本の自衛官が、海外で人を殺して、家族のもとに「ただいまー」と帰って来るかもしれない。
自分が殺される状況になったら、相手を殺しても仕方がない。国内の警察官だってそうだ。命がけの仕事だから。
殺し合いが始まらないように、常に安定化に努力するしかない。その努力のひとつが、殺す国に協力することだったりするから、複雑だ。

長崎精霊流し

精霊流しとは、死者の霊を弔うために、親族が霊を乗せる船を作って、海に流す行事だと認識していましたが、長崎のはちょっと変わっています。
親族が霊を乗せた船を街中曳き回して、港を目指すまでがメインです。その間、常に爆竹を鳴らし続けます。これがものすごい大音響、かつ、周りに火花が飛び散って危険極まりない状況です。
爆竹を鳴らしながら港に着くと、港に浮かべた台船の上に、船を落とします。落とした船は、すぐに重機が粉々にして回収します。つまり、海に浮かべたりはしません。
船は、大きいものは人が乗れるくらいで車輪が付いているものから、二人で持ち運べる小さいものまでまちまちです。亡くなった方の生前好きだったものなどが船に飾りつけられています。お葬式の祭壇みたいなものですね。そんな大切なものですから、家族が爆竹を鳴らして曳いて歩くのには、効果があります。爆竹の音に驚いた街の人たちが、沿道に出て注目してくれますから、より多くの人に見送ってもらえるというわけです。
僕も、初めのうちは興味本位で写真に撮ったりしてましたが、ここ1年に亡くなった方(新盆)の遺影が船に飾ってあって、親族の方が、老若男女協力して、船を曳いているのを見ると、あんまり写真に撮るもんではないなあ、と思って、やめました。でも、「上戸家」と書かれた船が通って、みんな珍しがって写真撮ってました。「はいそこの人!写メール撮らない!!」(彩語録)

このほかに「グラバー園」も見ました。定番のちゃんぽんと皿うどんも食べました。長崎は今日でおしまい。明日は佐世保に行きます。純粋に観光目的でw。